それは、車いすに乗った、ひとりの人物との出会いでした。
SWORD(ソード)の考案者は、障がい者向けの住宅改修工事、福祉機器の企画開発を行うあい・あーる・けあ(株)の経営者で、自身も下肢に障がいを持つ落合克良氏です。
2000年に開催されていた、中小企業向けのとある展示会で、「福祉用具を開発しているので手伝ってほしい」と声をかけてきたその人が、落合氏でした。

昭和22年生まれの落合氏は、3歳で脊椎カリエスを発症、障がいを得ますが、16歳のとき、下肢障がい者のための自動車運転装置開発のパイオニア、藤森善一氏からかけられた、「君にだって大丈夫だと」いう言葉に希望がわき、18歳で免許を取得したそうです。日本がまだ貧しい時代、日本中の若者がマイカーでのドライブに憧れた時代でもあります。

福祉用具をユーザの目線「1mの高さから」考え、多くの製品を生み出したアイデアマンの落合氏は、遠出も厭わないドライバーでもありました。それだけに、運転できるのが専用の改造車に限られることでの制約を、長年歯がゆく感じていました。「なぜ、レンタカーという公共の道具を障がい者が使えないのか。免許がとれるということは運転できるということだからおかしいだろう」「会社の営業車、出張先でのレンタカー、教習車、車検時の代車なども手で運転できるようになればどんなにいいか」との思いを募らせた落合氏は、着脱式の手動運転装置の構想を抱きます。いつか同僚や友人に、「運転を交代するよ!」と言える日を夢見ていたのです。

落合氏に「アイデアはある。だからこのアイデアを形にしてほしい」と持ちかけられた着脱式手動運転装置の開発は、量産が見込めないためビジネスになりにくい。実際に、このころから国内でも、事業に乗り出しては撤退する企業は少なくなかった。でもだからこそ、今野製作所のような、事業規模の小さなものづくり企業がそれを担うべきではないか。私たちの手で、落合氏の思いを形にし、このような製品を待つ人たちに届けようではないか。
2005年、ソードの開発プロジェクトが始動したのでした。

ソードを考案した落合克良氏

開発に着手してみると、課題と困難は、挙げ連ねればきりがないほどでした。絶対条件である、安全に動作させるための機能を確立できても、日常使いのための操作性や利便性と両立しない。たとえば、堅牢さや耐久性を重んじると重量が生じて、軽やかな操作性が遠のいてしまう…。そうしたことの繰り返しです。また、いくら広く普及できる価格帯を目指したくても、コスト優先で"安物"をつくるわけにはいかないというジレンマもつきまとい、落合氏の思いとのハザマで頭を抱えること数知れず…。

何度壁に当たっても、あきらめるわけにはいきません。より確かなものづくりのために、外部の協力もあおぎました。東京都立航空高等専門学校(東京都立産業技術高等専門学校)には、最も身体への負担が少ない方式を人間工学に基づき導き出すお手伝いをしてもらいました。プロダクトデザイナーに相談し、コンセプトを一から練り直したうえで、機能美を引き出すデザインを考案してもらいました。そして、数え切れない試行錯誤の末、着手から4年後の2009年に、晴れてソードを世に送り出せることになりました。妥協せずにこだわり抜いた甲斐あって、手にしたユーザの皆様に役立ち、愛される製品となりました。

ソード開発チームによる実験の様子

障がいが妨げとならない、バリアのない社会の実現のために奔走した落合氏は、2016年9月、69年の生涯を閉じました。生前、「日本の、50年にわたる下肢障がい者の自動車運転の歴史の中から生まれたこの装置が、日本のみならず海外の、特にまだ障がいを持つ人々の自動車運転が十分に普及していない国や地域の皆様に、将来役立てばと心から願っています」と語った落合氏。その思いはいま、ミャンマーやタイに届けられています。

2014年、ソードは、ミャンマーの下肢障がい者ドライバー第一号誕生のための、一翼を担いました。さらにソードは、国際協力事業団(JICA)の事業に採択されます。タイ国を対象としたODA案件化調査事業の成果が認められ、2018年から3ヶ年に渡る「普及・実証事業」に選ばれたのです。

日本の下肢障がい者ドライバーの、経験と夢から生まれたソードの物語。落合氏から渡された襷を、私たちはこれからも、広く世界のみなさまにつないでゆきます。

タイでの案件化調査事業

*ミャンマーにおけるソードのストーリーは、こちらをご覧ください。

 

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